大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和63年(ワ)5809号 判決

原告

小松正一

被告

柚木隆一郎

主文

一  被告は、原告に対し、一八万二七六〇円及びこれに対する昭和五九年一一月一〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二〇分し、その一九を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、三〇〇七万九三七〇円及びこれに対する昭和五九年一一月一〇日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  事故の発生(以下、この事故を「本件事故」という。)

(1) 日時 昭和五九年一一月一〇日午後二時一〇分ころ

(2) 場所 東京都渋谷区広尾一丁目一一番四号先路上

(3) 加害車 軽四輪乗用自動車(八八横浜え一八六〇)

右運転者 被告

(4) 被害車 普通乗用自動車(松本五六み・・一〇)

右運転者 原告

(5) 態様 追突

2  責任原因

(1) 被告は加害車を所有し、自己のため運行の用に供していた。

(2) 被告は、自動車を運転するときは、前方を注意しなければならないにもかかわらず、これを怠つた結果、本件事故を発生させた。

3  原告の損害

(1) 原告の傷害等

原告は、諏訪湖畔病院で鞭打ち症との診断を受け、昭和五九年一一月一二日から同六〇年一月七日まで通院し軽快したが、昭和六一年九月中旬以降本件事故の後遺症に襲われるようになつた。その症状は、項痛は激しくて夜も眠れず、視力が衰え、思考が困難となり、ペンが握れなくなつたというものであつた。そのため、原告は、同院のほか、東京女子医科大学病院、成川鍼療院等に通院している。

(2) 原告の損害

〈1〉 治療費 六四万五一一〇円

諏訪湖畔病院、東京女子医科大学病院、成川鍼療院等の昭和六三年四月二二日までの分

〈2〉 通院交通費 二二三万四二六〇円

右病院などに通院するために要した電車やタクシーの料金の昭和六三年四月二二日までの分

〈3〉 逸失利益 二二二〇万〇〇〇〇円

原告は、自動車・不動産・有価証券販売などの事業をなし、一か月当たり一一一万円を下らない収入を得ていたのであるが、本件事故による後遺障害によりその労働能力を完全に失つたため、昭和六一年九月から無収入となつた。昭和六三年四月迄の二〇箇月間の逸失利益を算出すると、右のとおりとなる。

〈4〉 慰謝料 二〇〇万〇〇〇〇円

〈5〉 車両価格落ちによる損害 三〇万〇〇〇〇円

原告は被害車を処分したが、本件事故のためにトランクルームに雨漏りが生じ、売却額が低下した分

〈6〉 弁護士費用 二七〇万〇〇〇〇円

原告は、本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任し、その報酬として二七〇万円の支払いを約した。

4  よつて、原告は、被告に対し、自賠法三条及び民法七〇九条に基づいて、三〇〇七万九三七〇円及びこれに対する本件事故の日である昭和五九年一一月一〇日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1、2の各事実はいずれも認める。

2  同3の事実は知らない。

本件事故は渋滞中に発生した追突事故であり、加害車の速度は時速一〇キロメートル程度で、しかも被害車がニツサングロリアであり、加害車が軽自動車のホンダライフであることを考えると、原告の主張するような傷害が発生するとは考えられない。すなわち、被告は原告の傷害の有無及び程度、本件事故との因果関係に疑義を持つている。

三  抗弁(消滅時効)

1  本件事故は、昭和五九年一一月一〇日に発生した。

2  昭和六二年一一月一〇日を経過した。

3  被告は本訴において、消滅時効を援用する。

四  抗弁に対する認否

抗弁1、2の各事実はいずれも認めるが、3は争う。

五  再抗弁

被告は、昭和五九年一一月末日までに、被害車の修理代として一〇万円余りを支払つた。これにより消滅時効は中断した。

六  再抗弁に対する認否

再抗弁事実は認める。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるので、これを引用する。

理由

一  請求の原因1について

請求の原因1の事実は当事者間に争いはない。

二  請求の原因2について

請求の原因2の事実は当事者間に争いはない。従つて、被告は自賠法三条及び民法七〇九条により、原告に生じた後記損害を賠償する責任がある。

三  請求の原因3について

1  原告の傷害等について

(1)  本件事故直後の原告の傷害等について

〈1〉 前記事実、証拠(甲二、六、一一ないし一三、一七の一、証人藤本憲司、原告、被告)と弁論の全趣旨によると、本件事故は、赤信号で停車中の被害車に、ノロノロ運転で走行してきた加害車(軽自動車・ホンダライフ)が追突したというもので、本件事故により原告の上半身は前後に揺れ、被害車のバンパー、トランクなどに破損を生じたこと、事故後、原告は首の辺りを手で押さえていたが、特に医師の診察を受けることもなく、一人で被害車を運転して肩書き住所地の自宅に戻り、事故の二日後である昭和五九年一一月一二日に諏訪湖畔病院で藤本憲司医師の診察を受け、原告は悪心が有ると訴え、同医師は、左項部に緊張感が有り運動で多少の痛みが有るが腕や指には異常は無いとの所見で、加療三週間の鞭打ち症と診断し、ニフラン(解熱消炎鎮痛剤)、ガストロピロール(消化障害治療剤)、ヘルペツクス(湿布剤)の処方を指示したこと、同月一九日に再度診察を受け、左項部の疼痛は消失したが背部に疼痛があるとの所見で、右と同様の処方を受けたほか肩のマツサージ及び熱気浴を受け、以後同月二〇日と同年一月七日の二回マツサージ等を受け、治療は中止となつたこと(実日数四日)、この間同医師はレントゲン写真を撮影していないこと、の事実を認めることができる。

〈2〉 右事実によると、原告は本件事故により頸部に鞭打ち症の傷害を受け、昭和五九年一一月一二日から同六〇年一月七日まで四日間通院して治療を受けて治癒したものと認めることが相当である。

(2)  本件事故による原告の後遺障害等について

〈1〉 前記事実と証拠(甲三、七ないし一三、一七の一ないし四、証人藤本憲司、原告)と弁論の全趣旨によると、以下の事実を認めることができる。

Ⅰ 原告は、昭和六一年九月二二日、二週間位前から頸部の調子がおかしいと訴え、諏訪湖畔病院で藤本医師の診察を受け、同医師は項部緊張感、運動時項部痛との所見で、ニフラン、ガストロピロールを処方し、頸部、上背部、腰部のマツサージを指示した。原告は、同月二四日には左の眼球から後頭部にかけて突き抜けるような感じがする、後頭部から項部にかけて調子がおかしい、同月二六日には視力が悪い、同月二九日には腰痛が強い、と訴え、同年一〇月一三日には神経内科を受診するようになり(その間、東京女子医科大学病院成人病センターで診察を受け、眼については異常なしとの診断であつた。)、その際、原告は頭がつつて寝ていられない、眼の奥から後頭部にかけて痛いと訴え、肩凝りがくると頭痛になりいつもはリハビリで良くなるが最近は良くならない、頭痛は鎮痛解熱剤(アフロクアロン)を使用していると述べ、アロフト及びミオナール(いずれも痙性麻痺治療剤)、マーズレンS(胃粘膜保護剤及び消化性潰瘍治療剤)の処方を受け、同月二〇日には、机に向かつて仕事をすると(俯いていると)後頸部が突つ張り項部痛となり強くなるが、二、三時間臥床すると楽になる、と述べて、アロフト、ミオナール、マーズレンSのほかユベラニコチネート(末梢・脳循環改良剤)、加味逍遥散(神経症、不眠症、更年期障害などの漢方薬)を処方された。その後も、原告は、諏訪湖畔病院整形外科に通院を続けながら、同院神経内科・脳神経外科にも通院し、更には、東京女子医科大学病院、日本赤十字社医療センターなど在京する病院や治療院に通院した。原告の症状としては、手の痺れ、歯の痛み、頭痛などはあるが、耳鳴り、眩暈などはなく、頸部の症状は多少の改善はあるものの概ね一進一退を繰り返していた。その間、日本赤十字社医療センター神経内科で原告の頸椎の異常を指摘されたことから、昭和六二年七月一日、諏訪湖畔病院整形外科では、頸椎レントゲン撮影を初めて行ない、藤本医師は第一、第二頸椎間に不安定性があり、これは、追突時に靱帯(環椎横靱帯)を損傷し、現在これが瘢痕性に伸延した状態にあることによると判断した。そして、同病院は、原告の治療としては、右判断後でも特に変化はなく、前記薬剤のほか精神安定剤(グランダキシン)、自律神経失調症治療薬(ハイゼツト)、抗うつ剤(ルジオミール、トリプタノール)、抗てんかん剤(デクトレール)、抗けいれん剤(テレスミン)、痙性麻痺治療剤(ムスカルムD、ユーセルム一〇〇)、抗炎症剤(モビラート、ダーセン)などの投薬や頸部・上背部・腰部に対するマツサージを行つてきた。また、昭和六二年三月頃から、ポリネツクを使用し始めたが、頸椎を牽引したことはないし、神経ブロツクを行つたこともない。

Ⅱ 原告は、Ⅰの症状の発現前に諏訪湖畔病院で何回か診察を受けている。原告は、昭和六〇年一月二三日に、自宅の階段で足を滑らせて五、六段落下し腰部を打ち、左側胸部・左傍脊椎筋の疼痛及び第一一助骨骨折との診断を受け、以後ニフラン、ガストロピロール、ボルタレン座薬、湿布薬の処方を受けていたこと、同年七月二日には、二週間位前に階段を一段おきに上がつていたときに右下腿に痙攣が起つたことに起因して右膝内障との診断を受けたこと、同月一七日には熊動時に左背部に疼痛があり、ニフラン、ガストロピロール、モムホツト(温湿布薬)の処方を受けた。

そのほか、原告は同年一〇月一三日に慢性胃炎で、同六三年一月二六日に右膝痛で、同年二月二日にスキーの際の負傷である右膝側副靱帯損傷、右胸部痛で、それぞれ診察を受けている。

なお、同六〇年七月二日には、原告は諏訪湖畔病院の医師に対し、昨年末から水泳をしているが、平泳ぎの時は良いがバタ足をすると左前面が張つてきて長く泳げない、骨折によりやめていた水泳は四月から始めた、梅雨に入つてから項部から肩甲部にかけて張つて痛みがあると述べており、頸椎についての診察の結果、腕の神経叢では左小指に放散痛が認められたけれども、運動範囲、腱反射、知覚ともに正常であつた。

Ⅲ 原告は、その主張する症状が現れ始めた頃から、諏訪湖畔病院のほか東京女子医科大学病院、日本赤十字社医療センター、峯島クリニツクを含む七箇所の病院等で診察を受け、三箇所の治療院に通い、健康食品の購入を行つてきた。

Ⅳ 第一、第二頸椎の間から第二頸髄神経が出ている。この神経の神経根が一次的または二次的に損傷を受けると大後頭神経が刺激を受け、その症状として、項部痛・後頭部痛を生じ、また大後頭神経から枝別れしている三叉神経の刺激症状として、眼痛・偏頭痛を生じる。更に、脊髄性副神経が刺激されて、僧帽筋及び胸鎖乳突筋の麻痺や疼痛を起こす。僧帽筋の麻痺は大後頭神経に影響を与え、後頭部痛や頭痛を増強させる。これらに対処するには、神経ブロツクが有効である。

〈2〉 前記(1)〈1〉及び右〈1〉で認定した事実に基づいて検討する。

諏訪湖畔病院においては、原告の主張する症状の部位、原因を的確に把握していたとまでは認め難いけれども、その症状の内容、従前からの治療内容を考慮した対処療法によつていたが、他方、心因性や他の原因をも考慮して治療に当たつていたところ、原告が日本赤十字社医療センターで頸椎の異常を指摘され、藤本医師もレントゲンで頸椎の不安定性を確認したことから、この部位と結び付き易い本件事故にその原因を求めたものと推測することができる。

ところで、証拠(甲一八、一九、乙一)と弁論の全趣旨によると、鞭打ち症とは頭頸部筋繊維の生理的範囲を越えた神展・屈曲による損傷(伸長・部分的断裂)をいうけれども、一旦損傷を受けた頭頸部筋繊維はその儘の状態を継続するのではなく、人体の生理的回復力により収縮・回復するが、損傷前の状態まで回復するかどうかは被害者の回復力により異なり、一旦回復すれば何らの外力を加える事なく筋繊維が伸長することはないものということができる。鞭打ち症では一旦完治したときは再発することはないといわれているが、それはこのことを指すものと思われる。従つて、筋繊維が損傷前の状態まで回復していなければ、即ち頸椎に不安定性が残存していれば、鞭打ち症に伴う症状は残存する筈である。

本件事故による原告の負傷は、昭和六〇年一月には一旦治癒し、その後梅雨時に若干の症状が現れたが特に治療をするまでもなく、その後格別症状も現れることもなく一年以上を経過して原告の主張するような症状が現れていることからすると、その症状が本件事故と因果関係を有するとは認めがたい。

〈3〉 従つて、原告の主張する症状と本件事故との間には、相当因果関係を認めることはできない。

2  原告の損害

(1)  治療費 一万二七六〇円

前記のとおり、本件事故と相当因果関係を有する治療費は、昭和五九年一一月一二日から同六〇年一月七日までの分に限られるところ、証拠(甲六)によると、その間の治療費は一万二七六〇円であると認められるから、右金額が損害となる。

(2)  通院交通費 〇円

前記のとおり、本件事故と相当因果関係を有する通院交通費は、右期間の四回の通院分に限られるところ、原告は昭和六一年九月二二日以降の通院交通費の支払いを求めているものと解されるから、結局通院交通費を認めることはできない。

(3)  逸失利益 〇円

原告は昭和六一年九月以降の逸失利益について請求しているけれども、前記のとおり、その間には逸失利益は生じないのであるから、結局認めることはできない。

(4)  慰謝料 一五万〇〇〇〇円

本件事故の態様、原告の傷害の部位・程度、通院の期間・経過、その他本件審理に現れた一際の事情を総合して考慮すると、原告の受けた苦痛を慰謝するには右金額をもつてすることが相当である。

(5)  車両価格落ちによる損害 〇円

甲第五号証によると、売り主欄には小松正一(諏訪タクシー)と、自動車の表示欄の使用者名欄には(有)スワタクシーと、所有者の氏名欄には松本市ツカマ四七四三日産プリンスとの各記載がある。そうすると、原告は被害車の所有権又は使用権を有していたとは直ちには認められないから、被害車を処分できないはずであり、従つて、原告の請求はそもそも認められない。

(6)  弁護士費用 二万〇〇〇〇円

証拠(原告)と弁論の全趣旨によると、原告は、本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任し相当額の報酬を支払うことを約したことを認めることができるところ、本件訴訟の審理経過、認容額などに照らし本件事故と相当因果関係のある弁護士費用は、二万円とすることが相当である。

四  抗弁(消滅時効)について

以上の認定事実によると、消滅時効の始期は、諏訪湖畔病院での通院治療の一旦終了した日の翌日である昭和六〇年一月七日であるところ、被告は消滅時効の始期としてこの日を主張していないのであるから、その余の点につき判断するまでもなく、被告の抗弁は採用できない。

五  結論

以上のとおり、原告の被告に対する本件請求は、一八万二七六〇円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和五九年一一月一〇日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるので認容することとし、その余は失当であるので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言に付き同法一九六条をそれぞれ適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 長久保守夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例